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今日からは前回予告しました奈良旅行の記事になります。
旅行とはいっても用事が多く観光や撮影にはほとんど時間を割けておりませんがご容赦ください。
今回は内容も少なく期間も短いためサブタイトルは省略します。
まず1日目は新幹線で東京を出発。
京都に14時台到着であれば在来線で行っても十分なのですが今回は都合により新幹線を使用しました。
近鉄京都駅に久々に来たらその変貌ぶりに驚き。
5年ほど前に来た時は何やら薄暗いイメージだったのですが今では正反対です。
奈良への玄関口。
阪神直通対応車も京都に顔を出します。
ここからは特急に乗って移動しました。
続いて2日目。
朝はすこし時間があったので散歩に。
何やらこちらを見ています。
朝であれば多少列車本数も多いので以前探しておいた場所へ。
工事が終わっており前よりも少しだけ線路に近づけるようになっていました。
朝日をバックに普通列車が走りぬけて行きました。
光線状態はよくありませんがこの場所であれば4両までは収まりそうです。
引き続き歩いて今井町へ。
朝の路地。
銀行も街並みに配慮したつくりでした。
朝日に輝く白壁。
20分ほど散策して撤収してその帰り道に畝傍駅へ寄り道。
ちょうど難波行き6両編成が停車中。
ここではこれまで2連しか見たことがなかったため非常に長く感じました。
この続きはまた次回。
ではまた。
こんにちは。
前回からの続きです。
<快晴の米子を後に>
最終日は昼過ぎの飛行機で帰るため、午前中の空いた時間で山陰歴史館を見学しました。
そのあと荷物を持って米子駅へ。
黄色い電車のいる日常
行きとは異なり境線で空港へ向かいます。
この列車は接続が比較的いいためか他にも空港へ向かう客が乗っていました。
小型機が離発着の訓練中。
空港も米子鬼太郎空港を名乗るだけあり随所で関連物を見かけました。
おみやげを買ったり昼食をとったりした後は展望デッキへ。
この日はソウル行きの設定もあり比較的出発まちの人が多かったようです。
こちらに乗って米子を後にし、東京へと戻りました。
この日は気流もよく快適な飛行でした。
今回は海の幸を思う存分堪能し街歩きなど観光もたっぷり楽しむことができ短いながらとても充実した旅行だったと思います。
本日までの3日間で奈良旅行に行ってまいりましたが、その模様は次回から2回程度に分けて書いていこうと思います。
ではまた。
前回からの続きです。
<続・境港周辺を観光する>
午後は来た道を戻りバス停横の公園へ。
港を見つめる復元灯台。
時期によっては中に入れるとか。
続いて近くの「海とくらしの史料館」へ。
およでいるときに遭遇したら生きては帰してくれなさそう。
ここは魚のはく製の展示では日本でもトップクラスの点数を誇るようで
大小さまざまなはく製を見ることができました。
ぼー。
市場で見たカニの何倍でしょうね?
力士が昇進するときとかに持ってそう。
見るだけでも痛そうですが、実際に触っても痛いです。
見学後は歩いて駅の方へ。
日本の空を守るレーダーサイト。
境港のランドマーク、境水道大橋。10年ほど前まで有料だったそうです。
漁船が停泊しています。
ここ最近水泳が熱い町から来てるみたいです。
こんなものが道端に飾ってあるのも港町ならでは。
道を左に曲がって水木しげるロードへ。
売ってるものも鬼太郎一色です。
脱力系。
こんな人も歩いてます。
お土産を買ったりして駅へ。
右の灯台型の建物が駅舎ですが、売店や案内所など多くの施設はその隣の大きな建物の中に入っていました。
この後は米子に戻り、皆生温泉で入浴した後夕食にしました。
翌日は東京へ戻ります。
この続きはまた次回。
ではまた。
こんにちは。
前回からの続きです。
<境港周辺を観光する>
2日目は朝の散歩から。
駅前は人通りも少なく閑散とした雰囲気。
少し歩くと街並みが変わり住宅の間の小道を歩きます。
また少し歩いて商店街へ。
通〇閣のマスコットに似てます。
アーケード街は営業時間前なので人通りはありません。
その一角に古い建物が。
道端のお地蔵さん。
ここで引き返して駅の方へ。
旧市役所で今は歴史館になっているそうです。
いったん部屋に戻った後は朝食をとりました。
この辺りも冬は雪が深そうです。
米子は「鉄道のまち」だそうで駅前にこんなモニュメントが。
米子からは境線に乗車します。
とことん水木しげる推しのこの路線。
車内は天井・壁・座席に至るまですべてにイラストが描かれています。
C-130が離陸して行きました。
米子空港まではバスとほぼ同じ速さで値段は半額なので
時間が合えば鉄道を使って空港に行くのもありでしょう。
途中の余子で降りてバスに乗り換え。
時間があるのですこし散歩。
ここからバスに少し乗って夢みなとタワーへ。
資料館・展望台・温泉などが集まった複合施設。
実写版鬼太郎に使われたセット。
水木しげる作品についての展示のほか東アジア交易に関する資料もそろっています。
残念ながら大山は雲に隠れていました。
隣の市場は活きのいい海の幸がたくさん。
買って帰るのも大変なのでここでは見るだけにとどめました。
見学後はバスで境港駅の先の方まで乗っていきそこから歩いて港へ。
長距離トラックが休んでいます。
海鮮丼を堪能。
水産業に携わる方々や長距離トラックの運転手の方々が昼食をとりにくるお店のようで近くにバス停はなく相当な距離を歩きましたが、歩くだけの価値があるおいしさだと思います。
この後もこの周辺を観光します。
この続きはまた次回。
ではまた。
前回からの続きです。
<雨上がりの松江市内を観光する>
昼食を撮った店は武家屋敷を改築しているため当時のたたずまいもそのまま。
この通りは塩見縄手といい日本の道100選にも選ばれているらしいです。
小泉八雲ゆかりの街・松江。
武家屋敷は建物の中に直接入ることはできないものの、
庭からじっくり眺めることができます。
電柱が目立たず、景観に配慮した街づくりが行われているようです。
前来た時そのままの松江城天守閣。
中は資料室と展望台です。
宍道湖を望むことができました。
今回は近くまで行くことはなかったものの前に行った時は
松江温泉から出雲大社へ一畑電車で抜けた記憶があります。
400年前と変わらない姿で今も松江の街を見おろし続けています。
最近話題になったのでここも見学。
その他施設を何箇所かまわっていると5時をとっくにすぎてしまいました。
雨も降りだしたためバスで駅に戻ることに。
雨の松江城
松江からは山陰本線で米子へ。
ちょうどラッシュ時のはずなのに2両編成の列車は比較的すいていました。
米子で見かけたホワイトボード。
大雨は各線に多大な損害を及ぼしていたようです。
一昔前の典型的な地方都市主要駅といった作り。
列車の発着時間以外は人も多くありませんでした。
この後荷物を置いてから夕食をとりました。
翌日は境港方面に向かいます。
この続きはまた次回。
ではまた。
前回の予告通り9月4日から行ってきた山陰旅行の記事を書こうと思います。
まずは1日目。
<乱気流の中を西へ>
この日は他のメンバーと集合するため朝から羽田空港へ。
集合時刻の30分前に着いたので時間つぶしも兼ねて撮影。
1発目。まだJALとANAしか乗ったことがないです。
やっぱり長い。
パンダ機が国際ターミナルからどこかへ移動。
未確認情報ですがこの日は自分たちの後の米子便に充当されていたようです。
活況を呈する国際ターミナル。やっぱり首都の玄関口は羽田になるのでしょうか。
長距離便は深夜早朝の発着なのでこの時間はほとんどが東アジア線。
後ろの機体はキティのラッピングがされているようです。
現れた747-400。
その後ろにはQ300。(トリミング済み)
午前中に撮りに来たことがあまりないので動いている所を見るのは久々だと思います。
日本最後の旅客ジャンボに残された時間はあとわずか。
個人的にももう少し記録をつけていきたいところです。
他のメンバーと集合して久々のANA機で米子へ。
地震の影響は特になかったようですが、台風に向かって飛んでいたためとにかく揺れに揺れました。
米子からはバスで松江へ。
ここで降りたのは約15年ぶりでしょうか。
レイクラインに乗って移動。
ここ数日の雨でかなり増水しており堀の遊覧船は運休中でした。
また、この日は伯備線も大雨により運休しており揺れはしたものの飛行機移動で正解でした。
まるで江戸時代にタイムスリップしたかのよう。
松江は気温が非常に低く長袖を羽織ってもまだ足りないくらいでした。
昼食に暖かい出雲そばをおいしくいただき、午後からは市内観光を行いました。
この続きはまた次回。
ではまた。
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