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乗り物に関連したブログです。 旅行記録や管理人が撮影した写真を公開していきます。 管理人:デデス
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こんにちは。

前回からの続きです。

<那覇市内観光>

予定より早めに首里につき、昼食をとって午後から首里城へ。


お札にもなった守礼門。


何とも言えない表情。


復元された正殿。曇天が残念ですが、晴れれば青空に映えそうです。


内部も復元されています。


石垣もどことなく沖縄風味。

城を出た後は石畳道へ。


このあたりは戦火を免れ、昔のたたずまいを今に伝えています。

続いてバスで移動し、鉄道の痕跡をたどろうとしましたが見つけることができず、
モノレールに乗り換えて那覇空港へ。


このほかにも2機展示されています。今回は訪問できませんでした。

駅に着いたらまずはゆいレール展示館に向かいました。
鉄道専門の展示施設としては日本最南端で、平日のみの開館です。


途中にはこんな標識。


風雨で説明が消えていますが、東京モノレールで使っていた台車だそうです。


開業時のヘッドマーク(?)


こちらは軽便鉄道のレール。


本土復帰を願って名づけられた列車でした。
人々の願いは叶い、列車が走り去った今もこうして証は残されています。

この後はターミナルで飛行機を撮影しました。

この続きはまた次回。

ではまた。
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こんにちは。

前回からの続きです。

<島南部へ>

2日目は那覇バスターミナルから糸満へ移動。


左の車両は中央ドアを埋めたようです。

途中区間では雨が降っていたものの目的地では止んでいました。
糸満でタクシーに乗り換えてひめゆりの塔へ向かいます。


左側のくぼみが外科壕。
物資のない中では負傷者の治療も満足に行えず凄惨を極めたそうです。

資料館を見学してからバスで平和祈念公園へ。


沖縄戦で亡くなられた方の名前を刻んでいます。


沖縄戦当時、この海が米艦船によって埋め尽くされたといいます。


魚雷や砲の残骸。こちらにあるものの大部分は日本が使用したもの。

展望台に上がってみました。


写真中央の崖、L字型に削れた部分は風化ではなく艦砲射撃によるものだとか。


平和の礎の方を向いて一枚。

改めて平和の尊さを身に染みて感じることとなりました。

この後はタクシーを拾って首里の方に向かいました。

短いですが区切りの関係でこの続きはまた次回。

ではまた。
こんにちは。

前回からの続きです。

<琉球のデゴイチを訪ねて>

午後は宿に荷物を置いてから海軍司令部壕へ。
都合により内部の写真は撮っていませんが、当時の様子をしのぶことができるようになっています。


街並みを挟んで海が見えました。

この後対馬丸記念館を見学しました。
戦後70年となりますが、悲惨な歴史を繰り返さぬよう務めることが私たちには求められています。

続いて波上宮へ。


狛犬ではなく、沖縄らしくシーサーに。


今も昔も沖縄の守り神として人々に親しまれています。

県庁前まで歩いて移動。


少し懐かしい形のバス。

夕方は宿から歩いて与儀公園に向かいました。


沖縄の子供たちに贈られたSL。
野外保存ですが、状態は良好です。

昔は県内にもSLホテルがあったり新幹線車両が保存されていましたが、
いずれも塩害による荒廃で解体撤去されてしまい、国鉄車両が残るのはここだけのようです。


日豊本線を中心に活躍した後この地にやってきました。


猫駅長?がいました。
引退から海を渡って40年余り。これからも沖縄の街を見守っていくことでしょう。

翌日午前は南部の観光に向かいました。

この続きはまた次回。

ではまた。


こんにちは。

昨日まで沖縄に行ってきたので記事にします。
なお、場所が場所だけに鉄道分はそんなに多くありません。

また、昨年末ぐらいから一眼の調子が悪かったため3月頭より修理に出しており、
今回は11年夏の会津旅行以来3年半ぶりにSP-570UZを引っ張り出して使用しております。

<一路沖縄へ>

朝は京急で羽田へ向かい、昼食を調達してから搭乗口へ。
あまり天気が良くないこともあり、展望デッキへは行きませんでした。


搭乗予定のナナロクが降りてきました。

今回は窓側の座席で、デジカメ使用も解禁されたため地上走行時も堂々と撮影できます。


真っ白の-300。リタイア機です。
もう500人乗りは不要、ということなんでしょうかね。


結局飛んでいるところは撮れずじまいでした。


少し飛んで伊豆半島上空。
雲は多めですが、おおむね快適な飛行でした。


わかりにくいですが浜名湖上空。
この先で左に切って洋上を南下します。

昼食をとったりしているうちに沖縄県内へ。


サンゴ礁のきれいな島を通過。

着陸はほぼ定刻でした。


復刻塗装機が整備中。

降機後はゲートからしばらく撮影。


成田へ行くLCCも就航。初撮影です。


こちらも初撮影。
777で長距離便も飛ばすみたいです。


最後に那覇らしい一枚を撮って撤収。

ターミナルから通路を歩いて駅へ。


ここが日本最西端の駅。

きっぷは磁気ではなくQRコードをタッチする鉄道では比較的珍しい方式でした。
改札機の可動部分が減るのでこちらの方が維持費は安いのかもしれません。


中心部まで渋滞なし、乗り換えなし。便利になったものです。

この後はホテルに荷物を置いて観光に出かけました。

この続きはまた次回。

ではまた。


こんにちは。

昨日東京へ帰る途中に三重方面をまわってきたので記事にします。

金曜夜に近鉄で鳥羽へ移動し、翌朝から行動開始。


海と駅が見える部屋でした。

まずは四日市から内部・八王子線へ。


標準軌の約半分。


車体もコンパクトです。

住宅地を走って終点内部に到着。


「近鉄」表示も間もなく見納めです。


検査できる場所の都合か、一両だけ切り離してありました。

続いて西日野まで行ってから四日市へ折り返しました。


途中駅で一枚。
塚口駅をミニチュアにしたらこんな感じですかね。


午後からは北勢線。


復刻塗装車とすれ違い。


冷房化や足回りの強化など手を加えられ、今後もまだまだ使いそうです。


終点に到着。
一帯ではひな祭りイベントを行っているそうです。


旧型車が展示中。

この後は桑名経由で名古屋へ移動。
東京に帰るにはちと早い時間なので乗り潰しも兼ねて武豊線へ。


東海道線を走るディーゼル快速。


この一コマも翌日の朝をもっておしまい。
翌日の電化を控え、沿線には地元の人も多く見に来ていました。

東海道区間は貨物が先行するためわりとスローペースでの運転でした。
武豊線に入ったところで踏切が故障したため10分ほど遅れての運転となりました。


夕日を浴びて・・・


終着武豊に到着。
帰りの新幹線の都合上周辺散策はできず、残念ながらそのまま折り返しました。


架線の下で折り返し待ち。

帰りは遅れを回復するためか名古屋までかなり飛ばしていました。

この後は新幹線で約一月ぶりに東京へ戻りました。

今回の記事は以上です。

ではまた。
こんにちは。

前回からの続きです。

<有田鉄道の生き証人たちに触れる>

藤並から30分で鉄道公園に到着、さっそく中に入ります。


玄関にはSLが鎮座。

園内の展示館では当時の有田鉄道を忠実に再現したHOジオラマが展示されていました。

休日は気動車の体験乗車会が実施されていますが、着いた時には最後の回がちょうど終わったところで間に合いませんでした。


車内はほぼ原形。

ほかの車両も見て回ります。


この貨車は外板を目下修理中。
右隣に繋げられた貨車でも塗装作業が行われていました。


レールバスはちょうど車庫に押し込まれるところでした。


キハ58もしばらくすると車庫に引き上げ。
金屋口方はJR西日本タイプの幕を出しています。

 
デモ運転中の貨車と並びました。


今日の展示を終え、また次の週末の運転までの休眠に入ります。

運転がすべて終了した後は自転車でもと来た道を藤並駅まで走りました。


周りはみかんを中心に柑橘類の畑が広がっていました。
現役時代にも乗ってみたかったものです。

藤並から先は丁度特急がない時間帯だったので普通列車を乗り継いで帰りました。

今回は絶好の行楽日和の中で旅行を楽しむことができてよかったと思います。

ではまた。
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